捨てるのは悪だと思ってた
もったいない。もったいない。
じいちゃんとばあちゃんの口癖だった。戦争に行ったじいちゃん、じいちゃんのいない家を守ったばあちゃん。父が生まれて、おむつをぬうための60センチほどの糸が3本配給されたと、何度も話してくれた。18歳まで、そんな2人と、そんな2人に育てられた父と母と弟2人の7人と実家暮らしていた。暮らしのベースは、もったいない。捨てるのは悪いことだと思っていた。というか刷り込まれたんだと思う。
時代は変わった
たしかに、もったいない心はわかる。もったいないおばけというのもいたし。
わかるけれど、昭和、平成、令和を生きてきたわたしにとって、物を持ち過ぎているのが現状で。そのままにしていたら、むしろ物の量と重さで身動きができなくなる。時代は変わった。スマホの広告、テレビ広告で、物を買わされちゃう。そして押し付けられちゃう。危機な時代になった。
令和は、あまりに簡単に物が手に入るのよ、ばあちゃん。
令和は、とにかく安いのよ、じいちゃん。
ばあちゃんの大切な糸3本は、100倍くらいの量が100円で手に入る。あんまりに、簡単に手に入るから、ありがたみがなく。でも、もったいない心で、捨てられず、持っているのを忘れて、また買っちゃって。あれ、また増えちゃった?!の繰り返し。
2020年エックスで100個の捨て活をした
2020年。長男は高校受験。次男は小5、末娘は小3。コロナが始まった。子育て事情も忙しさの極み、コロナでどうなるかわからない学校関係、仕事もままならぬ状況で、とにかくストレスの苦しみの中に落ちていった。
どうにか抜け出したかった。
私は、図書館でコンマリさんの本に出会う。だいぶ遅いが、いいのだ。出会いのタイミングは人それぞれだと思ってる。これが転機だった。
身動きできないコロナ禍。片付けは、うさばらしにはもってこいだった。
当時のツイッターで「#捨て活」なるものに出会う。捨てる活動。略して捨て活。色々な言葉があるものだ。
捨てるものを、写真に撮ってツイッターに上げる。捨てました!とつぶやく。そうすると同じようなことをしている人たちが、いいね!をくれる。
これは、しめた!と思った。これなら、続けられそうな仕組みだ。100個捨てることを目指したのだった。
何もときめかないんだが、、、
コンマリさんの、ときめきを大事に、自分に問いながら、進める捨て活。
私の周りにあるものは、大半がゴミであることに気がつく。
なんせ、ときめかない。
ほぼ人からもらった物と、とっておいてあげたい母心に由来する物。夫の実家なので、昔の暮らしの道具。いつか使えそうな紙袋や、手芸の道具。とうの昔に入らなくなった服。老後を見据えて手に入れた折機。わたしのときめきは、あまりに少なかった。
捨てたる!
捨てだせば体重が落ちて脳がクリアになっていく不思議。
信じてなかったけど、捨てだしたら痩せるよ!は本当だった。
痩せた。
物理的に物があると動けない。家具も多く捨てたので、動くスペースが生まれた。ヨガなんかしちゃったりして。
何と言っても、ストレスが減ったから、体重がおちたんじゃないか?と思ってる。
調子に乗って捨て続けた。捨てるのにお金が掛かったものも結構あって、馬鹿馬鹿しいと思った。
目からウロコがおちていく
捨てたものを写真にとって、ツイッターに載せながら1日1捨てを合言葉に100日続けたら、世の中の見え方が変わった。
度胸試しに、買物中毒化していたイケアに行ったら、なんとすべて不用品!ゴミ箱行き!になるな。と想うわたしが、そこにいた。
買い留まる自分がいたのだ。衝撃を受けた。目から鱗が落ちていった。
ミニマリストを知る
そこから、ミニマリストという言葉を覚え、意識するように暮らしてる。
あれから、コロナも回復し、子育ても一段落した。そしたら、また捨て活したくなってきた。
2024年 2回目の#捨て活開始
ツイッターのアカウントは残っているので、また捨て活をやってみようと思う。実に3年ぶり。
ライフステージが1つあがったような気持ちになれるし、クリエイティブな気持ちになる。気持ちの変化にも注目したい。
50才を目前にして、心を軽くしていおきたい。あわよくば、体重も軽くしておきたい。しなやかに生きていきたい。
早速、明日からスタートしよう!
こうやって、自分で決めて、自分で何かを始めてみるのは、すごく気分がいいし、生きてる感じがするものだ。
じいちゃんばあちゃんへ
じいちゃん、ばあちゃん。
捨てないと気楽に生きていけない。そんな時代に、なってしまいました。豊かなもので溢れていて、ものだけじゃなくて情報もいっぱい溢れています。気を許すと部屋も頭の中も、すぐパンパンになってしまって知恵熱がでそうになります。
本当に大切なものが、隠れてしまってる気がするから、どうぞ捨て活を、応援してください。
食えない貧しい時代は、辛かったと思う。でも、みんなとてもシンプルに、潔く、強く生きていた。何かを取り戻そうとしてるのかな。