願わくば年金を払いたい

身軽になる術
身軽になる術

扶養を抜けたからここにメモ

願わくば年金を払いたい。と強い意志を持ち3年やった。来月から払うことになった。やった!

扶養って

我が家は自営業で、国民年金だった。

家族が増え国民年金の支払額がわりとになった。

何か術はないか?と探った時、社会保険に入ろうと決めた。

そして、夫の扶養に入ることとなる。そのほうが「お得」だと、税理士にアドバイスをもらったのだ。だから「そういうもんか」と思った。それを何十年もやってきた。

103万以内にとか、130万以内にとか、私の稼ぎをセーブすることで、全体的に我が家は安泰になるとのこと。正しい理解するのも面倒くさいじゃないかと、専門家に従った。仕事の量も質も変わらないのに、奇妙な話だった。

夫の年収を徐々に上げていった。
私の年収はずっと同じだった。

夫の社会保険の支払いは徐々に上がっていった。
私の社会保険支払いはなかった。ずっと。だって扶養だから。

何人か人を雇った。私は他の誰よりも低い年収で、給与振込を担当していた。月に一回の給料日。振り込みながら思うんだ。「これでいいのか?」と。3秒くらい思って、4秒先には忘れる。

 

2000年気づく

うすうす感じていた。
「私の年金は少ないんだろうな。だって払っていないんだから。でも夫と足したら平気なんだろうな。」と。

うすうす、うすうす感じていた。
「目の前の現金は減らないが、将来は平気か?」

楽天的だった。なんせ年金は遠い話で、老後は遠くにあったし、今の暮らしが忙しかった。扶養になっているすきに、「貯金をたんもりするんだよーーー。」という真理があるなんて、知る由もなく。まして、自力でたどりつくわけがなかった。

ある時、夫と喧嘩をする。

「別れるとかあるかもしれないなっ!」そういうやつだった。

その時、ふぃによぎった恐怖。「アタシ、リコンデキナイ?!」

何かと暮らしは忙しいんだ。心配や用心や準備なんて真面目にやらないものだ。余計なことは考えたくない。次のごはんのメニューとか、子供の持ち物の準備とか、明日下締め切りの仕事とか、やってないトイレ掃除とかで手一杯なんだ。

そうやってると、災害、離婚、老後は急展開でやってくるのが常で、気が付いた時にはお先真っ暗!そんなもんだろう人生は。となる。

気楽に言ってる場合じゃない。と自分を戒めた。

喧嘩でもしなきゃ、考えなかった。
だから、喧嘩して良かった。

喧嘩自体は終息し仲直りした。

しかし年金問題は終息せず加速していく。

真面目に調べてみようと思った。

2001年コロナ禍。

売上がおちた。焦った。そして、本気で調べだす。
離婚とかじゃなく、家族と社員の明日が危ないぞ。

人間ってつくづく困らないと動かない。

そこから、年金について、まじめに調べたり勉強したりするようになる。

年金制度は複雑だった。聞けば、日本屈指の賢い人々がよってたかって、日本国民みんなで生きぬく術を、予測で作るというではないか。そんなもの、理解できたら、わたしはここにはいない。

  1. 年金の歴史や計算方法もどうでもよい。→それらは捨て。
  2. どこで見れる?→ねんきんネットにアクセス
  3. 私たちはいくらもらえる?→なんじゃ、こりゃー
  4. いつからもらえる?→なんじゃ、そりゃー
  5. 足りないなら、どうすればいい?→年金以外に貯金せよ。NISAを開始
  6. 子供をきちんと育てよう→自立してくれなきゃ、いつまでもお金は貯まらない。

3年前の気づき。ぎりぎりセーフなことがいっぱいあった。まだまだ足りないこともある。でも前進しだしたという感触が大事だ、いいんだ、いいんだ、えらい、えらい。と自分を励まし褒める。

少しは、ましになってるさ。
信じよう。

我が家の年金そもそも論

若い若い娘の頃。出会った夫は、サラリーマンなんぞやるはずもない輩だった。そこが良いのも事実で私はそういう輩が好きなのだ。

小娘の私は恋だの愛だのだけで満足無敵だった。
さぁ、私は熟女になったぞ。恋だの愛だのだけでは、明日は生きれないことはわかるようになった。

過去を悔やんでも仕方ない。
問題はどうやるか?はじめるか?はじめないか?だ。

実母だけが、警告を発してくれていた。それも大人になったから言えるセリで、当時は「ほっといてよ。」なんて言っていたのだから、心底あやまりたい。お母さんごめんね。そしてありがとう。母は偉大。

結局、日本人として、どうありたいか?

年金問題を、損得で考えるというのは迷宮入りしてしまうと思う。
日本人として、どうありたいか?という哲学的な領域で考えようと思った。

「わたしは、社会人、日本人としてどういう人でいたいか?」

子供にも、こうやって伝えた。損得は考えない。

扶養を抜けよう!

こんなことを、ごちゃごちゃやってきた。
それで、私は、自分の力で稼ぎたいと思うようになる。
夫に擁護されている身では、日本人として立っていられない気持ちになったのだ。

計画を開始した。「扶養ぬけるぞ!大作戦」現在、3年経過。

  1. 私の給与を180万にしたので扶養でなくなった。→色々やって捻出。
  2. 週に一回外部で働き、給与を得た。44万ほどになる。→古巣に頼み込む、我社の売上を自分に使いたくなさすぎた。会社がつぶれたら泣きつく場所も欲しかった。保険を得る。
  3. 個人事業主になって、青色申告を目指し、扶養を外れ、でも我が家の税金が気になるから、控除の額を上げることにした。

淡々と、気持ちを積み上げた2025年の結果である。
心が自由になった。あたし日本で生きてるぅ~って思う。

正しいのか、正しくないのか解らない。
正しそうで、それに向かってる。それだけだけど、今までは判断さえしなかったし、とにかく、あたし日本で生きてるぅ~って思う。良しとする。

来月から年金を払う

久しぶりに、年金を払うことになって気分がいい。(昔は払ってた)
年金問題は、奥が深く今日明日でどうにかなるもんじゃない。もうどうにもならないかもしれない。早死で払い負けしてしまうかもしれない。

それでもいいんだ。

私は、日本の約束事を守っていたい派の人間であるという気づきを得た。
裏路地は好きだが、こういう裏路地は面倒くさい。
チャレンジしていたい。
諦めない人でありたい。
ボケずに、人生を終わりたい。
自分の稼ぎで暮らせるようになりたい。
いつでも離婚できるけど、離婚しないもんねぇ~と言っていたい。
そしてニュースとも無縁でいたい。
自分は自分というマインドでいたい。

私は、自分の感性で自分の責任で生きたいんだなぁ~
心躍る日々を過ごしたいんだなぁ~

っと。だいぶ自分が見えた日だった。