友のヘルプ要請
短大時代の友から、ヘルプ要請が来る。「ワークショップの手伝いしてくれない?」
わたしは、女子美短大出身。
本科生から1年専攻科を得て、3年通った。
専攻は、染織科テキスタイルデザインの織専攻。
高校は進学校だった。
進路を考えていく過程、美大の存在を知る。
わたしは、美術が好きだしわりと得意だ。毎日、図工や美術を勉強してさえいれば、なんらかのその手の職業に進めるらしい。数学は好きだったけど、英語と社会が嫌いだった。毎日勉強するこの生活に嫌気がさしていた。これは、しめしめ案件だった。
しかし問題が。「普通にしていたら、美大には受からない。」美術の教科担任に教わる。
なにせ絵を描くという実技テストがあるという。だから、予備校に通いなさいと促され、美術研究所を紹介される。怪しさ満点だった。
そこに通いだしてからだ。
進学校にはいない人々を目の当たりにする。
自分の生きてる世界がなんと狭いことか!
個性的な人しかいない研究所。
似たり寄ったりの人生つまらないではないか!と。
こっち側かもしれないな。と。
そう思うようになってしまった。
彼女との縁
田舎の実家は余るほどお金がなかったし、弟も二人いた。
貧乏とは感じたことはなかったけど、大学に行った人間がいなかった。
両親はおそらく地元の市役所などの固い職業に就職するか、地元の短大進学を考えていただろうに、願いを聞いてくれた。
今はここじゃないんだ。と、地元を離れる決意をした。
わたしはもっと遠くに行きたかった。
もっと世界を知りたくなった。
許してくれた両親には頭が下がりまくって今に至る。
それで、無事美大への道筋がつき、そこでつながった友人だ。
クラスメイト達は、個性派ぞろい。しかも女子美はお嬢さまが多い。
田舎のからでてきた芋女子一般家庭出身の私を迎えてくれた奇特な人。それが今回の依頼主だ。
ミッション
内容を聞いてみると、彼女の開催する展覧会で、ワークショップを行うと言う。「枠織りという手法を使ってコースターを作る」という催し物らしい。
4人相手に1日2回。5日間行われる展覧会の1日の講師が足りない。
でわたしか。
社会人になる人種が少ないのも、美大出身者の特徴。
わたしは、普通に社会人として働ている。
迷うことなく、「いいよ」と言った。私自身は、枠織りはここ30年やっていない。正直大丈夫かぁ?と心配もした。彼女が「平気でしょ」と軽く言うから、その気になって「なんとかなるか。」と参加することとする。
ここ最近のマイブーム
ここ最近、自分の新境地を開拓しようと心がけてる。「どうやったら自分を面白がれるか?」がテーマだ。だから、予期せぬ場所に行き、動くしかない。
人は何とかしなきゃいけない!となれば、何かが発動するに違いない。人体実験実施中。
この依頼に期待を寄せるほうが勝った。収穫を狙いたい。チャンスは逃さない。勇気と勢いが大事なのだ。いざ!
会場入り
会場に行くと、2人お手伝いさんがいた。
友人は、母校の助手→母校の臨時講師→とある織りの先生を師事→その道を歩き続け→結婚を期に自分の織り教室を主宰。教え子がけっこういるのだ。今回はその教え子さんたち、(彼女は仲間と呼ぶ)との大展覧会なので、お手伝いさんたちも教え子のみなさん。
大人の対応
わたしは、50才で大人だ。やる気満々で来たものの、現役で織子をやってるみなさんには叶わないことくらい認められる。彼女の教え子さん達に、講師の立場をゆずろうとした。けれど、みんなそういうのは嫌みたいだった。
子供の心
「もったいない。自分を追い詰めるチャンスなのに。」と言ったら、頭おかしい人と思われるので、言葉にするのはやめておき、「僭越ながら…やらせていただきます。」と、おとなしめにお受けする。
本番
ほぼぶっつけ本番でスタート。50才、仕事で修羅場を幾度となく超えてきた。手ごわいクライアント達ににプレゼンすることと比べたら、緊張するはずもなく、まぁまぁなんとか形になったし、楽しかった。先生なんて呼ばれたりして(笑)
しかしながら、仕事のように、疲れた。もっと体力もつけなきゃいかん。
若い時の知識は案外残っているようで、ペラペラ脳内引き出しが開き言葉も出てくる。よかった。
感想
なかなか大変ではあったか、久しぶりに使ってない脳の場所を使った、心地よい疲れはご褒美だった。
楽しかったこと
スタッフの教え子さん達と談笑したり、同期のKちゃんも来ていて話す。コミュニケーションは、一番簡単な脳トレだなぁと頭の端っこで思う。コミュニケーションはあとあと前頭葉に利いてくるというじゃないか。やっていこうコミュニケーション。なるべくボケたくない。
代返(だいへん)のかわりにジュースをおごる
友は始終訪れるお客様の相手で昼ご飯も食べていない。
先生という立場になると忙しいものだなと頼もしく見守る。
別のワークショップに駆り出されていた同期のKちゃんが帰ってきた。
主催者の彼女について話す。
彼女の人徳と、人懐こさと、立派になったこと。
我々に対する気持ちの良い粗雑な扱い。
放置っぷりがひどい。
それがなぜか心地良いことが不思議だ。しかし扱いが雑すぎる。とか。話は尽きない。
きっと信頼してくれてるんだろうと
前向きにとらえることとする。
よく、
自分の為に何かする。のと、
人の為に何かする。のでは、
後者のほうが圧倒的に多幸感が生まれるというが、
正にそれだった。
ギャラもない、ただの「友達ってことでヨロシク」
この手の友好関係は、50才界隈において、けっこうめずらしい気がする。
謝礼がないこと謝礼だ。
短大時代の代返(だいへん)してあげてジュースをおごってもらう。
そういうのに似てるなと思った。
次回会ったらランチをねだることにする。
興奮すれば無茶できる。そして若返る法則。
脳が活性化された私。新浦安から帰路に着く最中、調子に乗って、銀座のギャラリーまで足を伸ばすことにする。行きたかった展覧会があるのだ。
疲れてるのに、心の元気が、体の疲れに勝る。何かがもっとしたい。
歩みを進めつつ、この連鎖が若くいる秘訣なのかもしれない( ..)φメモメモ
と電車に揺られた。
展覧会は、興奮して見たから、過度に色々感じた。
さらに、本を購入し読みながら電車で帰った。とっても疲れる行為なのに止まらない。
興奮すれば無茶できる。そして若返る法則ってあるなと思う。
今後も興奮活動していこう。
まとめ
年を重ねてからの友達は、いいものだ。