今日の気持ち
家族の写真をいっぱい貼ろう!帰省した子どもたちに、「これどこ?」「何があった?」と聞いてもらって、伝える。そんなきっかけを作ろう。
写真の力
スマホで写真を撮るようになって久しい。撮ると満足してしまいろくに見返さない。溜まっていくデータ。容量を借りて、借りての繰り返し。いったいあとどれくらい溜めるのだろう?
この世を去ったあと、このデータは、どうなるんだろう?
写真って、焼いてなんぼじゃないか?
飾ってこそ、意味をなすのではないか?
最近の写真って…ほぼ資料みたいになってないか?
私は、写真が好きだった。カメラが好きだった。
フィルムの一眼レフを持って、24枚どう撮るか?何撮るか?と考えながら、デートや遊びを過ごしたものだ。
写真屋で焼きにだす。取りに行く。待ちきれず、道の端に寄ってすぐチェックしたこともある。思った以上によく撮れてる!ぁぁー逆光だったか!と1枚1枚、写っているモノ以上に、様々な気持ち振り回される、面白さがあった。
一期一会だった。
何か、「時が、ちゃんと心に仕舞われて記録されている」確かな手応えがあった。
持ち帰った写真は、アルバムやノートに保管して、そのあと何度も見直した。
当時、恋人の夫に、「写真できたよ!見る?」「見る見る!」と、いう、日々の暮らしにサプライズ的に感じられる、特別な瞬間があった。
あの1連の所作が、今はない。
瞬時に撮ったものを見れて、構図や写りがイマイチなら、すぐ撮り直せる。便利だけど、物足りない。
うまく言えないが、こんなコトしたいんじゃない!と思った。
写真を焼いていこう!
きっかけ
私の実家のリビングには、コルクボードがたくさん貼ってある。孫が8人いて、それぞれの孫との思い出を、写真という形で掲示しているじぃじとばぁば。
遊びに行くたび、新しい写真をチェックして、「これは?なに?」「入学式あったんだー。背伸びタネー。」と、私にとっての、姪っ子甥っ子の話に花が咲く。
そこに写真があるからだ。
同じものが、はぁばのスマホにも入ってるけど、他者に何のインパクトも与えない。
焼いた写真が貼ってあれば、物理的に見てしまう。存在感があるからだ。写真には、インパクトと力がある。
立場が変わる時だ
わたしは、帰省した子どもたちを迎え入れる側に立った。
わたしが、彼らの居ない日々や、たまに共に過ごす行事を写真にして、ボードに貼り、愛でる。
そして、帰省した折に見る。なにせ、インパクトと力がある。「コレどこ行ったの?」「食べたねぇ〜これ!」っという、会話の糸口というか、思い出の欠片を手繰り寄せるアイテムになる。
やっていこう。
わたしは子離れをし、子らは親離れする。そういう、潮目なんだなと思った。
コルクボード、DIYすることにする。
壁紙替わりに
ちょうど、汚れてきた壁紙。この一帯をコルク壁のようにする。
使った材料は、コルクシート。これ。



写真を注文して貼ろう
年末年始の写真を、ネットプリントで頼もうと思う。春休みに帰る子らに、見てもらえるように。
楽しみだな。少しずつ、少しすつ、やりたいことが、発掘されてて、嬉しい。